まさに「ゼロ確」だった。
 9月13日日曜日の午後8時の時報とともに、NHKニュースが沖縄県知事選候補、古謝玄太氏が当選確実となったとの速報を流した。
 筆者は那覇市内に設けられた古謝候補の開票センターに足を運んでいたため、幸運にも沖縄の有権者とともにこの瞬間を体験することができた。
 「当選確実」の一報が流れると、一瞬の静寂の後に大歓声が湧き上がった。どこからともなく、「わったー新知事、古謝玄太!」という声が上がる。その意味するところは、「我らの新知事、古謝玄太!」だ。
 最終的に古謝氏が得た得票数は、42万3千票あまり。次点の玉城デニー氏の27万6千票強と比較すると14万票以上の差をつけ、まさに圧勝という結果となった。
 そもそもこの種の地方自治体の首長選挙というと、現職が圧倒的に優位に立っているというのが、通り相場だ。今回の沖縄県知事選も、当初はそうしたセオリー通りの展開となっていたことは間違いない。
 確かに古謝候補には、自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党など国政政党6党が支援に動いただけでなく、沖縄県の経済界も全面的なバックアップ体制をとるなど、「組織力」という点では明らかに玉城知事を大きく凌駕していた。だからといって、それだけで選挙に勝てるというわけではない。
 最終的には全有権者の5割以上を占めるとされる、組織化されていない無党派層をどれだけ取り込めるかにかかっていたと言っていい。そうした点で言えば、選挙戦序盤では明らかに3選目を目指す現職の玉城氏が、新人の古謝氏を大きくリードしていたと言っていいだろう。
 しかも玉城候補には、普天間基地の辺野古移設に反対する左派・リベラルの政党や市民団体以外にも、強力な応援団がついていたのである。その「応援団」とは、『琉球新報』や『沖縄タイムス』などに代表される地元メディアだ。
 こうした地元メディアは、あからさまな形で玉城氏を応援しているわけではないが、その日々の紙面等においては玉城氏に有利に働くと思われるような報道に終始していたと言ってよいだろう。
 そしてその事は今年3月に発生し、2人の死者を出すことになった、辺野古沖のボート転覆事故を巡る報道でも明らかだった。
 このボートの運航主体は、普天間基地の辺野古移設に反対する活動家団体である「ヘリ基地反対協議会」。この団体が、玉城陣営にあって中核的な役割を果たしていた「オール沖縄会議(辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議)」を構成するメンバーの一つだったため、玉城氏との関係性が取り沙汰されることとなった。つまりこの転覆事故が、県知事選へ何らかの影響を与えかねない状況となったのだ。
 このため玉城氏にシンパシーを持ち、辺野古移設に反対の立場を取る在沖メディアは総じて、辺野古沖ボート転覆事故に関する報道には消極的な立場を取るようになったと言っていいだろう。
 そもそも沖縄のマスメディア事情は極めて閉鎖的だ、というのが筆者の基本的な受け止め方だ。新聞マーケットは、『琉球新報』と『沖縄タイムス』がほぼ独占しているといっていい。
 それというのも本土の全国紙は『日本経済新聞』を除き沖縄で印刷していないため、沖縄には前日の日付の新聞が届くことになる。こんな新聞は、沖縄では誰も相手にしていないのが実情だ。
 したがってSNSが登場してくるまでの沖縄の情報空間は、『琉球新報』と『沖縄タイムス』の地元2紙にコントロールされていたと言っていいだろう。しかしそこに風穴を空けたのが、SNSやユーチューブといったネットメディアだったのだ。
 沖縄在住の20代、30代の年齢の方々に取材していた際に、こう言われたことがある。
 「辺野古沖のボート転覆事故は、私たちの地元で発生した事故なだけに仲間内でも大きな関心を呼んでいた。にもかかわらず、地元メディアは極めて表面的な記事ばかり。玉城知事も納得のいく説明をしようとしない。そんな中、ネットを通じてさまざまな情報が入ってくるようになった。そしてその延長線上に知事選があった」
 選挙戦序盤では、玉城氏に大きくリードを許していた古謝氏だったが、選挙戦が進むにつれジワジワとその差を詰めていき、最終盤で追い抜き最終的には地滑り的勝利を収めたと言っていいだろう。
 選挙戦を通じての各種情勢調査、そして実際の選挙結果を通じて明らかになったことがある。それは、18歳から20代の若年層、そして30代、40代、50代といった年齢層の県民の多くは古謝氏に投票し、60代以上は玉城氏に投票した、という有権者の投票行動だ。
 そうした年齢層は、やはりネット世代、違った言い方をするならば、オールドメディアからの影響をほとんど受けない世代と言ってよいだろう。
 果たして新聞やテレビは、こうした状況をどのように受け止めているのだろうか?