思惑によって為替レートが変動し、経済的に混乱することはもちろんある。だからこそ、主権通貨国には「為替介入」という機能を与えられている(ユーロ加盟国にはない)。
9月初旬、日本円の対ドル為替レートは、一時1㌦152円台の「円高」になった。きっかけは8月31日のベッセント米財務長官の発言である。「市場が持っていない情報を私は持っている」
ベッセント長官が何を持っているのかは不明だが、いずれにせよ「要人の発言」で円安傾向が反転したことに間違いはない。

要人の発言をトリガーにした「思惑」程度で変わる為替レートの影響を受け、財政政策や金融政策を変えてはならない。「それ」をしてしまうと、われわれが持つ財政主権、金融主権が市場に奪われたことになってしまう。
さらに、ベッセント長官は9月9日、足元の円相場や日米当局による円買い介入をめぐり、「今や私が胴元だ」と発言。投機的な円売りを牽制した。
確かに、その通りなのだが、堂々と「国家は市場より優位」と断言するのは凄い。無論、正しい。是非とも、片山財務大臣にも言ってほしいものだ。
何しろ、アメリカはドルを発行するだけで、対ドル高の為替介入が可能なのだ。アメリカの為替介入の弾丸は、「ドル高対策」という意味では、無限である。無論、日本も円高対策の為替介入の弾丸は無限。円安対策にしても、1.3兆㌦もの外貨準備という弾丸を持っている。
筆者は、別に今の国債金利や為替レートについて「問題」とは思っていない。だが、問題だというならば、国家が動けばいいだけの話なのである。主権通貨国には、その機能(あるいは役割)が与えられている。ところが、なぜか現実を否定し、「市場が」と、国家のパワーを否定しようとする者が後を絶たない。センメルヴェイス反射(保身のために事実を拒絶してしまう反応)なのか、あるいは何らかの別の目的があるのか。
もっとも、共通通貨ユーロ加盟国は、日米と同じようにはいかない。市場が政治を左右する。欧州中央銀行(ECB)理事会メンバーのナーゲル独連銀総裁は9月10日、欧州でAfD(ドイツのための選択肢)や国民連合などの「いわゆる極右政党」が台頭していることについての懸念を示し、「われわれの国、社会、共有する価値観にとって何を意味するのか」と述べた。さらに、いわゆる極右勢力について、「経済的な意味で自滅的なものもある」とし、外国人投資家らがドイツへの投資を敬遠する可能性に懸念を示した。
「市場」中心主義の経済、すなわちグローバリズムは、各国の「国民」を苦境に追い込むことになる。エマニュエル・トッドの言う「グローバル化疲れ」である。
民主制国家である以上、結果的に政治的な反発が起きるのは当然なのだが、例えばドイツにおけるAfDの伸長に対し、ECBが「懸念」を表明してしまうと、「市場」が民主制を否定していることを自ら証明したことになってしまう。もともと主流派経済学は民主制における有権者を嫌悪する傾向が強かった。
しかも、政治的動きに反発する理由が、「外国人投資家らがドイツへの投資を敬遠する可能性に懸念」だった。「市場」とやらが「国民の生活」を気にしていないのがよく分かる。もちろん、日本も人のことは言えないが。
共通通貨ユーロ加盟国は、ユーロ建て国債しか発行できない。さらには、対ユーロ加盟国で固定為替相場制である。ユーロ加盟国は、主権通貨国ではないのだ。
それに対し、日本は主権通貨国であるため、「日本銀行保有国債の帳消し」は、別に不可能ではない。が、そもそもそんなラディカル(過激)なことをする必要はない。何しろ、日本銀行が保有する国債は、「日本政府が子会社からカネを借りている」形でバランスシートに計上されているため、地球滅亡の日まで借り換えをするだけの話である。利払いについても、日銀決算後に国庫納付金として戻ってくる。
いずれにせよ、主権通貨国日本と、共通通貨ユーロ加盟国とでは、「国家の機能」からして違う。ユーロ諸国の苦境を見ていると、主権通貨国のありがたみが理解できる。































