この度の衆議院選挙は高市自民圧勝に終わったが、それに勝るとも劣らぬ重大な帰結は「中道」とりわけ「立憲民主党」の大敗であった。彼らは解散前の148議席を(自民党から候補者リスト不足故に回された7人を除けば)わずか14議席へと10分の1以下にまで激減させた。これは日本のリベラル勢力の事実上の崩壊を意味している。
 なぜこうなったのか―――その理由はひとえに、彼らが理想主義(アイデアリズム)と現実主義(リアリズム)の均衡を完全に失調させてしまったという点にある。
 政治学において理想主義とは、理念や価値、あるべき姿を出発点とし、それを現実へと実装しようとする立場である。他方、現実主義とは、権力構造、制度的制約、経済条件、国際環境といった現存する諸力学から出発し、可能性の範囲内で最適解を模索する立場だ。いずれも政治に不可欠だ。しかし一方が過剰になれば、政治は空転する。
 立憲民主党の振る舞いはその典型であった。これまで反原発・護憲を掲げてきたにもかかわらず、選挙局面で原発や憲法九条への姿勢を事実上転換した。だがそれは、長期的国家戦略に基づく熟慮の結果というより、単なる選挙対策の色合いの濃いものに過ぎなかった。
 ただし、それでもなお彼らは一応の体裁を整えるべく、急場しのぎで「現実的でなければならない」という「理想主義的観念」を持ち出す格好となったのだった。つまりそこで導入されたのは「真の現実主義」というよりむしろ、単なるフェイクにすぎぬ「似非現実主義」だったのだ。故にその主張は現実味を持たず、戦術的修辞として受け止められ、国民に徹底的に無視、嫌悪されたのである。
 そもそも今、日本国民はこうした「過剰なる理想主義」に対する否定的態度を強烈に形成し始めている。日本がいまだ豊かであった20世紀末までのかつての時代においては多くの日本人の心をつかんでいたに違いないSDGsや自由・平等・博愛、日中友好、LGBT政策等のさまざまな理想的観念が、長引く不況の中であらゆる側面で日本が転落し続ける今日においては、急速にその有効性を失ってしまったのだ。
 オールドタイプの人々はそれを「悲しいこと」だと認識するやもしれぬが、今を生きる現代の多くの日本人にとってはそれらに「うんざり」し始めているのだ。それらの諸概念が、安全保障や経済、産業という現実と整合し、実際に我々の精神を豊かに幸福にさせる効力がない限りにおいて、単なる空疎な抽象的標語であり、時に暴力的な破壊をもたらす「ポリコレ棒」でしかない。それにもかかわらず、そんなポリコレ棒を振り回すだけの政治が始められれば、国民は一気にそんな政治に対する信頼を蒸発させるのだ。
 ここで重要なのは、この理想主義と現実主義の対立が、単なる戦術論ではなく、哲学的問題に根ざしているという点だ。理想主義は実在の根拠を観念に求める。プラトンのイデア論、バークリーの観念論はその典型である。他方、現実主義は主観から独立した客観的実在を認める。アリストテレス以来の実在論的伝統がこれに当たる。
 しかしハイデガーが示すように、主体と客体の両者が混然一体となった我々の意識現象「以前」に、主体と客体のそれぞれを直接的に把握することなど人間には不可能だ。我々はどれだけ理想を心にたたえていようとも、その我々自身が世界内存在として現実の只中に置かれている。故に理想と現実は、いずれか一方のみで完結することは永遠にあり得ない。だから我々の人間活動そのものである政治もまた、存在の地平において理念と事実が交差するものとしてしか立ち現れないのだ。
 戦後日本は、平和憲法という理想を掲げつつ、それを国際秩序という現実に依存して維持してきた。戦後日本の「過剰な理想主義」は、戦勝国たる連合国側のご都合主義によって歓迎されるという「現実」の中で幸か不幸か是認され、理想と現実が歪なる形で均衡していた。すなわち、バイデン政権までの米国の理想主義的アメリカ外交を中心とした国際主義的枠組みの中で、平和憲法を軸としたいわゆる我が国の「お花畑的平和主義」が支えられていた。しかしいま、その外的条件はトランプ的リアリズムによって完膚なきまでに崩れ去り、国内の「お花畑的平和主義」という理想主義はもはや、現実的均衡を保つことが出来なくなっている。この度の中道、とりわけ立民の恐るべき大敗はそうした歴史的潜在的大転換を目に見える形で如実に示すものだったのだ。
 実践的政治哲学とは、理想を否定することでも現実に屈することでもない。理念を保持しつつ、制度・権力・経済・国際環境という現実の構造を直視し、その両者を緊張関係の中で統合する営為である。理念なき現実主義は方向を失い、現実なき理想主義は空語となる。
 今回の選挙結果が示すように、理想主義の過剰と現実主義の欠如は、国民の支持を持続させることができない。いま求められているのは、理想と現実の均衡を回復する政治である。それは抽象的理念の再唱ではなく、現実的制約の受容でもなく、両者を往還する思考の鍛錬である。
 理想主義と現実主義の実践的統合こそ、いまの政治に課された最も重要な課題なのだ。これに我々日本国民が失敗することとなるなら、この世界史的大転換の中で、我が国日本は主体性の全てを失い、他国に隷属するしかない事実上の植民地国家へと堕落するほかないのだ。