1990年前後にはベルリンの壁の崩壊があり、その後のヨーロッパの激動は凄まじいものだった。それはナチスドイツの崩壊と、その後の激動にも匹敵するヨーロッパの激震であった。
 その影響は全世界に及んだといっても、アメリカや日本はその影響は小さく、ヨーロッパは必死にもがいたが、全世界的に見れば第二次世界大戦後の植民地の退潮に続く変化だった。
 でも、ヨーロッパにはヨーロッパの底力があり、なんとか世界をリードする地位は確保し、G7の元での主導権を発揮してきたのも確かである。でも、それもついに潰えた。アメリカはヨーロッパから離反していくし、日本は中国の繁栄に幻惑されている間に、足腰を鍛えてきた。
 いよいよ、ヨーロッパは今後も繁栄を続けるのか、それともかつてのローマ帝国もチンギスハーンも潰えたように、歴史の中に消え去るのか――の正念場に差し掛かっている。そして、ヨーロッパの首脳陣や学者はこの変化を理解し、研究し、これまでに蓄積された知恵で乗り切ろうとしている。
 こうしたヨーロッパの状況は、日本にとっては格好の勉強材料だ。
 日本はまだ没落していない。その可能性があることに緊張している段階だから、具体的にその道筋に入った〝兄貴分〟を学ぶ絶好のポジションにいる。

人が持つ「憎悪」の力


 論点は2つ。
 ヨーロッパの識者は「社会を分断し、あらぬ方向に進もうとしている動きが2つある」と恐れている。そしてその動きは、実は日本でもヨーロッパに少し遅れて進んでいるものとほぼ同じである。
 それは第一に「憎悪の空気」の形成である。
 これは既にヨーロッパはナチス・ドイツの災厄によって経験したものだ。ユダヤ人が社会から憎まれていたり、社会から排除しようという風潮が再び出てくるような事はあり得るだろう、それはこれまでのヨーロッパの知性や、学問、芸術文化などを通しても予想できないことではない。
 第二次世界大戦前にヨーロッパを吹き荒れた排斥の波は、当初、「ユダヤ人なら、それだけの理由で殺害してもいい」というところまで行くとは考えられていなかった。しかしそれは現実に起こった。それが落とした影は今でも巨大であり、今回のイスラエル―イラン戦争においても、いわゆるジェノサイトの影は、ヨーロッパ人の行動を強く制限していた。
 しかし20世紀初頭、学問も芸術も世界で突出していたヨーロッパが、なぜかくの如く厳しい「憎悪の空気」に影響されたのであろうか? それについては現在、主としてヨーロッパの心理学者を中心に検討が進んでいるが、簡単に言えば、人間の心に芽生える「好きな心」と「相手に対する憎悪」を比較すると、残念ながら憎悪の方がはるかに強い、ということだろう。
 例を挙げれば、「海より深い母の愛」というけれども、その母親に社会的な「憎悪の心」が芽生えると、それは〝母の愛〟よりも深くなるということが、経験的及び実験的なデータで示されている。
 つまり、人間の持つ憎悪の力というものが社会に蔓延すれば、それはとてつもない力になり、普通ではありえないことが実施されることになる。それがナチス・ドイツの時に誕生した「ユダヤ人であるというだけで殺して良い」という極端な社会現象として現れたというのである。
 ここ最近の例でいえば、ヨーロッパにおけるコロナ騒動だろう。最初は誰もが普通のインフルエンザ並みであろうと想定していたが、特定の社会的勢力によってコロナウィルスの憎悪が巻き散らされると、それに汚染された社会は、一切の理論的及び冷静な判断を失い、大きな力で流されていくようになったのだ。

平等というまやかし

 
 第二は「平等の虚偽」である。
 これはちょうど「憎悪の空気」と対を成すものであり、「平等であるという幻想を作り上げさえすれば、虚偽の平等社会を形成することができる」という社会作用の1つである。
 現代社会においては、多くの人が「フランス革命前の王朝時代に比べて、現在の方が社会は平等である」と錯覚している。
 ところが、社会学者を中心に現実の所得格差やその他の社会的平等性を綿密に整理してみると、実は現代社会はフランス革命以前よりも平等ではないという奇妙な結論が得られる。
 フランス革命以降、先進国では「平等」というのは、近代社会において当然の要求であり、社会はその方向に向いて進んでいると信じて疑わない。しかし、この「信じて疑わない」という態度は、「憎悪の空気」の形成と極めて類似している。人間はあるきっかけで「正しいことを信じるのではなく、信じたいことを信じているのだ」ということを示しているものと言える。
 現在、社会の格差はアメリカで最も極端であり、その他の先進国もおしなべてフランス革命より格差が広がった状態にあるという奇妙な状態こそが、それである。
 この2つの大きな社会的錯覚から離脱できた国家こそが、進歩する国家であるとも考えられている。
 日本の政界、学会、産業界は、このようなヨーロッパの先例と先端学問の進歩に、十分に目を向けるべきであろう。