今年3月、沖縄県辺野古沖で発生したボート転覆事故は、研修旅行のプログラムに沿って乗船していた同志社国際高校の女子生徒が溺死する惨事となった。
この事故については発生直後から、安全管理上のいくつもの不備が指摘されている。
まず、ボートの運航責任に関する点だ。この責任を有するのは、辺野古への新基地建設に反対する運動を20年近くにわたり行っている「ヘリ基地反対協議会(正式名称・海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会)」である。
そもそも、船舶による海上運送の基本である海上運送法に違反しており、5月に国土交通省から同法違反容疑で刑事告発されている。生徒たちを乗せたボートは、旅客定員1~12名の「非旅客船」に当たり、これを使って「不定期に、他人の需要に応じて、人を運送する事業(有償、無償を問わない)」を行うのは「一般不定期航路事業」に該当する。これを運航する者は、同法22条に定める登録を行い、国土交通省の下部機関である地方運輸局からの指導の下で同法に定められた安全管理規程を整備することが義務づけられているにもかかわらず、登録自体を行っていなかった。
その上、当日の波浪注意報など気象情報について確認を怠り、天候把握が不十分であった中、生徒たちに対する救命胴衣の適正な着用指導もなされていなかったことがわかっている。これでは、杜撰な運航体制と指摘されても反論できまい。
「ヘリ基地反対協議会」が行ってきた基地建設反対運動には意義がないわけではない。わたし自身も、そうした運動があることによって政府や米軍の一方的な基地政策に歯止めがかかることは大事だと思っている。ただ、それとこれとは別なのだ。どんなに社会的意義のある活動をしていても、法律を無視してはいけない。ましてや海上運送法は、あらゆる人の安全つまり公共の福祉を守るためのものである。
ある事柄に賛成、反対が分かれるのは、民主主義に基づきさまざまな権利や自由が保障されている社会では当然のことだろう。むしろ何でも全員一致というのは恐ろしい。だが、賛成vs.反対の対立があったとしても最低限守らねばならないルールはある。今回の件、運航責任についてはそれに当たるのだ。
また、この事故に関する学校の安全管理や生徒への教育の在り方も、厳しく問われる必要がある。平和について学ぶこと、さまざまな政治的考え方を知って将来有権者になり、日本国憲法に定められた「主権者たる国民」の役割を果たすべく自分の考えを固めることは極めて重要な学習だ。ただ、それを一方的に押しつけたり、安全性を軽視した形で提供するのは〈「教育」の傲慢〉でしかない。
同志社国際高校の場合、5月22日に文部科学省が発表した「同志社国際高等学校の研修旅行等について(これまでの把握事項と文部科学省の見解)」を見る限り、〈「教育」の傲慢〉に陥っていたのではあるまいか。この際、「教育」を万能であるかのように錯覚している方々は、あくまで生徒の気付き、学び、興味が中心であることを、改めて認識していただきたい。「教育」とは、生徒ひとりひとりが己の「学習」という大切なものを得るための補助に過ぎない。主役ではなく引き立て役と自任した方がいい。
ただ、この一件で何より憂慮せねばならぬのは、逆に、教育現場が「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」意識となってしまう状況である。同じ14条の1項で「教育上尊重されなければならない」とされている「良識ある公民として必要な政治的教養」の育成や、18歳選挙権導入によって近年特に重要視されている主権者教育まで批判されるのではないかと危ぶみ、消極的になる恐れが強い。
ましてや、平和、夫婦別姓、原発、外国人、ジェンダー等々の現代的課題は、各政党の意見も分かれるし、デモや抗議行動などの政治的活動を常に付随する。心配になるのも無理はなかろう。
ならば〈教育〉にばかり拘らず〈学習〉の視点から考えてみてはどうだろうか。2006年の教育基本法全面改定では、第1章「教育の目的及び理念」に
【第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。(下線は筆者)】
との条文が加えられている。
だとすれば高校では、総合的な探究の時間、特別活動などにおいて生徒が自らの興味・関心のある〈学習〉を自由に選び、適切な情報提供、危険防止などで学校がそれを助けるのなら何ら問題ない。他教科のような〈教育〉一辺倒ではなく、〈学習〉支援も学校教育の重要な役割なのである。
今回の文部科学省見解でも、「平和教育」でなく「平和に関する学習」という用語が使われているように、学校で使われる「主権者教育」という言葉も「主権者になるための学習」にすればいい。学習者の意思に基づき、多様な現代的課題に対し自分なりの確たる考えを持ってもらうことこそが、何より大切なのである。































