三重県四日市市の郊外、広永町に本社を置き、順送り金型の設計・製造・販売と、自前の金型を用いた部品製造で日本屈指の業績を上げている伊藤製作所が、昨年2025年に創業80周年の節目を迎えた。伊藤正一氏(1912年12月~88年3月)が戦後間もない1945年12月に創業、漁網機械の消耗品部品であるシャトル(舟形)の製造から始まった同社は、2代目・澄夫氏(現会長)、3代目・竜平氏(現社長)へとバトンをつなぎ、現在では社員数でみれば中小企業規模ながら、その枠を超越した企業となっている。

創業者が抱いた金型への夢



 四日市はかつて漁網、万古焼、鋳物などを代表的な地場産業としていた。そんな同市の大手漁網会社で働いていた正一氏は、戦時中、航空機部品を製作する名古屋の企業へ応援勤務にいくこととなり、応援勤務先の近くに墜落した米軍機B‐29の残骸を見て、部品が自分たちのような手作りではなく、金型によって作られていることを発見。日米の製造技術の差を思い知るとともに、「将来、金型を製造しようと考えた」という。
 やがて終戦となり、正一氏は戦災の復興事業として、わずかな資金をもとに伊藤製作所を創業。旋盤とボール盤、バフ、バイス台という設備で漁網機械の消耗品部品であるシャトル(舟形)の製造を始め、やがて世界トップシェアを誇るまでに成長していったが、それほど技術力のいらないシャトルは、いずれ人件費の安い国にシェアを奪われると予見。息子の澄夫氏に折にふれ「お前はもう漁網の仕事はやらんでいい。金型をやれ」と伝え、夢を託していく。
 創業から15年たった1960年、正一氏は大手家電メーカーの下請けプレス企業を見学。目にしたのは順送り金型によるプレス加工で部品が量産されていく様だ。帰宅後、当時高校3年生だった澄夫氏に「あの金型を作ったら良い部品が安くできるし、お客も喜ぶぞ」と熱く語り、その後も金型メーカーや機械メーカーの見学を頻繁に実施。澄夫氏が大学を卒業する前年の1964年、ついに同社は金型の製作を開始することになる。

一時は世界のシェアをほぼ独占した伊藤製作製の漁網機械部品「シャトル」
一時は世界のシェアをほぼ独占した伊藤製作製の漁網機械部品「シャトル」


精緻な順送り金型、そして新たな柱も誕生



 一方、澄夫氏は立命館大学経営学部に進学。いずれ金型部門を担っていくことが決まっていたことから、大学卒業後は金型の修業ができる会社にいったん就職することを目指す。そして志望企業の入社試験に無事合格し、金型製作部門への配属も了解を得ていたが、卒業の1ヵ月前、同社から「業績悪化により新入社員全員の採用中止」という旨の速達が届く。その時期からの再度の就職活動は難しく、図らずもいきなり伊藤製作所への入社となった。
 文系出の澄夫氏は、何とかモノづくりの学びの場を得るべく、急遽2ヵ月の受験勉強で名城大学理学部機械工学科二部(夜間)の2年次編入試験に合格。入社と同時に二足の草鞋を履いていく。「でも、実は大学には金型の文献や教科書はなくて、収穫は毎日17時に仕事を終えて学舎に通い、深夜0時に帰宅という日々を送ったことで根性を鍛えられたことですね」(澄夫氏)。
 澄夫氏の予定外の入社から5年後の1970年、同社に「プレス部品加工部門」というもう一つの柱が立ち上がる。きっかけは営業マンとして積極的に活動していた澄夫氏が、プレス機械を製造・販売していた経営者一族の人物から、「つくった金型を社内で使うことも考えた方がいい」との助言を得たからだ。
 そうして同社は、プレス加工のみで複雑かつ精緻な部品を作り出せる順送り金型の設計・製造技術を磨き、自動車製造業界を中心に確かな信頼を得ていく一方、自前の金型を使っての低コストな部品製造方法も極めていく。
 プレス機は通常、生産部品に合わせて金型を付け替えて使うが、同社は積極的に部品生産の仕事を受注するとともに、仕事量に対して過剰設備ともいえる数のプレス機を導入、余裕のあるプレス機に金型を “付けっ放し”にしておくという方法を採った。「自動車部品はモデルチェンジするまで注文が途切れません。金型をつけっぱなしにしておけば、「追加注文が入ればボタンを押すだけで生産を再開できます」(澄夫氏)。
 そうして生み出された利益で新たなプレス機を購入、プレス工場も次々新設し、自動化も推進、少人数で多くの利益を上げる体制ができていった。
 近年、自動車メーカーでは部品単価を下げるために車種を越えた部品の共通化を進めており、金型製作の仕事は減少しているという。しかし同社ではそれをカバーして余りある部品製造部門の成長があり、今では売り上げの90%を部品製造が稼ぐ。もちろんその土台に自社製の優れた順送り金型があってこそだ。
 
精緻な部品を量産する順送り金型
精緻な部品を量産する順送り金型

少人数での稼働を基本としたプレス工場
少人数での稼働を基本としたプレス工場

 
 

友好国に海外進出


 
 海外進出で大きな成功を収めていることも特筆できる。
 1985年のプラザ合意後の円高をうけて日本企業の海外進出が盛んになった。中心は隣国で当時人件費が安く、人員も豊富な中国だった。86年に社長に就任していた澄夫氏も海外進出を目指したが、反日感情がある国への進出はリスクが大きいと考え、進出先にフィリピンを選んだ。
 フィリピン国民の高い教育レベルと語学力、日本に対する高い友好感情、日本と同じ島国、アジアでは日本以外では最も早く自動車生産が始まりモノづくりのセンスがある――などがその理由だ。
 95年に中国系フィリピン人との合弁会社「イトーフォーカス」を設立、その後2002年に100%日系企業の「イトーセイサクショ フィリピンコーポレーション」とし、順調な発展を遂げている。
 金型技術の習得は10年ほどかかるため、金型メーカーの海外進出のネックとなるのは優秀な人材の確保と定着だ。フィリピンでも離職率の高さが危惧されたが、澄夫氏はフィリピン人と接する中で彼らが家族をとても大切にすることに気づき、「会社を家族的な雰囲気にすれば辞めないのではないか」と考えた。
 そこで、自ら率先して社員を大切にし、親しみを越えて話しかけ、社員の誕生日にはケーキを贈り、クリスマスパーティーなども実施。他社から不思議がられるほど社員が辞めない会社となって、現地社員らの技術力も年々向上、2013年にインドネシアの財閥、ニュー・アルマダからの申し出を受けて同国に進出した際には、フィリピンから4人の技術者が指導者役として派遣されたことでもその成果がうかがえる。
  
フィリピンの現地法人「ITO-SEISAKUSHO PHILIPINES COPROLATION 」の金型工場
フィリピンの現地法人「ITO-SEISAKUSHO PHILIPINES COPROLATION 」の金型工場

「楽しく働ける職場づくり」を徹底し、笑顔あふれるフィリピン工場の従業員らと、「お父さん」的に慕われている伊藤澄夫会長
「楽しく働ける職場づくり」を徹底し、笑顔あふれるフィリピン工場の従業員らと、「お父さん」的に慕われている伊藤澄夫会長

インドネシアの現地法人「PT. ITO SEISAKUSHO ARMADA」
インドネシアの現地法人「PT. ITO SEISAKUSHO ARMADA」

  

人手不足と無縁


 「従業員を家族のように大切に」は海外の現地法人に限ったことではなく、80年の歴史の中で脈々と受け継がれてきた同社の社風だ。創業間もないころ人材難で苦労した正一氏は社員を家族以上に大切にし、小学生だった澄夫氏に「職人さんが働いてくれるから学校に行けるし、飯も食べられる。だからいつも職人さんには感謝しろ」と諭し、小学3年生から風呂を沸かす当番を課した。
 そうした従業員への気遣いは3代目社長となった竜平氏へと受け継がれ、いい意味での日本的経営が同社では今も保たれている。それは、中小企業で深刻さが増している人手不足問題、採用難問題に、同社は「まったく困っていません」(竜平社長)ということにも表れており、インターンシップ参加者は、楽しそうに仕事をする従業員の姿、職場の雰囲気の良さを感じ取って就職先と選択。地元高校からの採用では、同社に入社したクラブ活動の先輩などから聞く内容に安心し、優秀な人材が入社を決めることが続いているという。
 現在、従業員の平均年齢は33歳という若さ。加えて正社員には平均年24時間のOFF-JTを受けさせることで、技術力のさらなる向上が図られている。


会社概要


本社 三重県四日市広永町101番地
URL http://www.itoseisakusho.co.jp
創業 1945年12月
設立 1957年7月
資本金 5000万円
従業員 135名
事業内容 順送り金型設計製作、プレス部品加工、部品組立

関連会社


株式会社イートン
ITO-SEISAKUSHO PHILIPPINES CORPORATION(フィリピン)
PT.ITO SEISAKUSHO ARMADA(インドネシア)

沿革


1945年12月/四日市市浜町に「伊藤製作所」創立、戦災による漁網機械及び撚糸機械の復興事業より創業する
1957年 7月/「株式会社 伊藤製作所」を設立。資本金150万円
1963年10月/順送りプレス型設計製作を開始
1964年 8月/資本金500万円に増資。黄金町に工場を新設、プレス金型製造合理化のため機械の増設を図る
1970年 4月/資本金1,000万円に増資
1975年 4月/全員参加によるQCサークル活動の開始
1979年 4月/大型自動プレス、NCフライス盤2台とワイヤカット4台増設
1982年12月/金型部門の合理化のため、自動プロ、MCを導入
1983年 8月/CAD/CAMを導入
1983年10月/金型部門の合理化のため、100本ツールMCほか関連設備増設
1985年 3月/高速自動プレス 5台、マルチペーサーを導入
1986年 4月/本社事務所及び社員寮を建設
1987年 2月/32ビットCAD/CAM 2セット増設
1987年 12月/広永町上高田に、プレス専用工場を新設(2,100㎡)
1990年11月/自動設計システム、NC機械4台導入
1991年11月/本社金型工場(960㎡)、恒温室(336㎡)の建築。MC2台導入
1992年 3月/資本金3,000万円に増資。MC 2台導入
1995年12月/フィリピンに合弁会社イトーフォーカス設立。払込資本金(資本金800万ペソ)
1997年 1月~/合弁会社へ設備移転の為プレス 9台、CAD/CAM 4台、MC 2台、ワイヤカット 2台、NCフライス、3次元測定機導入
2000年 1月/投資育成より2,000万円増資で、資本金5,000万円
2000年2月/画像測定機等、精密測定機の充実
2000年7月/プレス工場製品倉庫を増設(420㎡)
2000年8月/ISO9001 認証取得
2001年 1月/社内LAN構築
2001年4月/自動プレス 14台導入
2002年 8月/環境マネジメントシステム エコステージⅠ認証取得
2003年3月/フィリピン合弁会社を100%独資にし「イトーセイサクショフィリピンコーポレーション」とする
2005年3月/プレス第2工場を新設(936㎡)
2005年3月/ISO14000 認証取得(ISPC)
2007年3月/ISO9001 認証取得(ISPC)
2007年6月/プレス第3工場を新設(612㎡)
2010年12月/プレス第4工場を新設(1,367㎡)
2013年3月/プレス第5工場を新設(741㎡)
2013年3月/インドネシア合弁会社 「伊藤製作所アルマダ」を 設立
2013年11月/第31回 優秀経営者顕彰 受賞
2013年11月/第47回 グッドカンパニー大賞 優秀企業賞受賞
2016年12月/ISO/TS16949 認証取得(ISA)
2017年1月/安倍総理の東南アジア外遊に伊藤澄夫社長(当時)が同行
2017年4月/イトーセイサクショフィリピンに金型専用工場を新設
2017年12月/経済産業省より「地域未来牽引企業」に選定を受ける
2022年 6月/テクニカルセンターを新設
2023年 11月/インドネシアGIIC新工場完成
2025年 7月/プレス第3西工場(プレス棟及び検査棟)を新設