思いもよらなかった通常国会の冒頭解散で、電撃的に第51回総選挙が行われた。結果は皆さんご承知の通り、与党自民党の空前の大勝利である。自民党だけで316議席、定数465の約68%を占めた。連立与党である日本維新の会の36を加えれば352であり、実に75.7%となる。自民党で3分の2以上、連立与党で4分の3だ。
 わたし自身は、今回の極端な選挙結果を見て心配になってくるが、ただこれは国民が下した審判である。自分の理想と違うからといって国民全体の投票行動そのものを否定するような考え方や発言はあってはならない。まして、自分とは違う投票行動を取った人々に対し、愚かだなどと批判するのは傲慢というものだ。
 ただ、こうした結果がもたらすこれからの政治状況については、きちんと考えてみる必要がある。

過去にあったこと



 「戦後初」との大活字が新聞の1面を埋めるが、ということは戦後になる前にはあったわけだ。それが、戦時中の1942年に行われた第21回である。大政翼賛会が作った選挙用の政治組織「翼賛政治体制協議会」の推薦する候補が、定数466と同じ数を揃えられ、381議席を得る結果となった。実に81.8%、まさに1党独裁だ。
 しかも、大政翼賛会のトップは総理大臣なのだ。当然のように政府が選挙に介入し、翼賛政治体制協議会推薦でない候補には役所や軍部によってさまざまな妨害行為が行われた。
 そもそも現在のような三権分立ではなく、大日本帝国憲法下では首相は天皇が任命する。近衛文麿内閣の1940年10月に成立し、東條英機、小磯国昭、鈴木貫太郎と歴代首相が総裁となった。すなわち現在でいえば立法府と行政府が合体したような存在である。天皇が選んだ首相が総裁である団体に属する議員が8割以上を占める衆議院なのだ。まともに機能するはずがない。
 当然、天皇の統帥権を錦の御旗として暴走する軍部を抑えることなど不可能だ。40年当時すでに戦争状態だった日中戦争を終わらせることも、41年12月の米英など連合国への開戦を止めることもできなかった。45年の終戦への動きさえ、内閣の中の議論や天皇の決断で決まったのであって(大ベストセラーを映画化した名作『日本のいちばん長い日』-67年 岡本喜八監督- にも議会の動きは全く出てこない)、国民のために働く組織とはおよそ言えない状態だったのである。
 もちろん、現在は日本国憲法の下で三権分立、選挙も公正に行われているのだから同一視するつもりはない。第21回総選挙では満25歳以上の男子しか投票できなかったのに比べ、現在は満18歳以上の男女に選挙権が与えられている。それでも、圧倒的多数を占める政権与党が出現した事実は、きちんと認識しておきたいのだ。

危惧される国会の機能不全



 大政翼賛会時代の衆議院は、国民生活にとって最も重要な戦争開始や継続についてまともな議論を行わず内閣の決めるままに従っていた。さすがに戦争を始めはしないだろうが、早くも高市首相は、通常国会に代わり来年度予算の審議を行う特別国会において、3月末までの年度内成立を目指し「迅速な審議」を施政方針演説でも呼び掛けている。国民のための議論の場である国会の機能は、果たして大丈夫なのだろうか。
 また、スパイ防止法、国旗損壊罪新設、外国人への規制強化などを打ち出し、さらには憲法改正へも強い意欲がある。選挙結果は、議論の場としての衆議院の構成を国民が選んだ結果であり、こうした「国論を二分する問題」を首相に一任したわけではない。むしろ「国論を二分」とは国民の間で賛否両論が拮抗しているわけだから、国会での慎重で綿密な議論が求められているわけだ。
 なお、大政翼賛会時代を調べてみて、さらに2点気づいたことがある。
 奇しくも第21回総選挙時の定数466と現在の465はほぼ同じだ。だが、1942年の有権者が約1460万人しか居なかったのに対し、先日の総選挙では約1億320万人と10倍近くになっている。連立与党の日本維新の会が、実現しなければ連立離脱(今やそんな脅しは全く効果ナシだが)だと騒いでいる議員定数削減などちゃんちゃら可笑しい。これほど多くの様々な考え方を持った有権者の意向を反映するためには、定数増の方が理にかなっている。
 また、第21回総選挙で大政翼賛会に属さないで当選した85人を見ると、40年2月の衆議院本会議で名高い「反軍演説」を行い衆議院議員を除名された斎藤隆夫をはじめ、「憲政の神様」と称された尾崎行雄、戦後に首相の座に就く芦田均、鳩山一郎、三木武夫、議会人として活躍した河野一郎、三木武吉、川島正次郎、三宅正一、西尾末広など、戦後の政界で民主主義体制を作り上げた議会人の名前が目立つことも付記しておきたい。