人類の生活と経済活動にとって極めて重要な自然資源(資本)を「生態系サービス」と捉えると、その急な、それこそ加速度的な減少が問題視されている。過去50年の間に、人類全体が消費した自然資源は、地球が再生産しうる範囲を6割も超過しており、特に、生物多様性はその約7割を喪失したという。
そこで、生物多様性の急減傾向(ネガティブ)を増加(ポジティブ)に転じさせねばならない、というのが「ネイチャーポジティブ(NP)」である。
世界の経済団体の多くが、「カーボンニュートラル(CN:二酸化炭素の実質ゼロ化)」、「サーキュラーエコノミー(CE:資源生産性の向上と使い続け、脱プラスチック)」に加え、「ネイチャーポジティブ(NP:生物多様性の反転回復)」を掲げている。よく見ると、3つの文言・用語・概念の粒度は必ずしも揃っているわけではない。だが、そうであっても「CN、CE、NP」の3点セットは、産学官公民の総力を挙げて促進すべき課題であり、産業を大きく左右するビジネス潮流だ。
このネイチャーポジティブは、「グリーン化=緑化推進」として捉える人も少なくない。確かに、その側面は重要で、「緑の復活」自体は良いことだ。日本政府がその政策の柱を「グリーントランスフォーメーション(GX」と謳っているのも分かりやすいからだろう。
また、信号の「緑は進め」にせよ、新幹線の「グリーン席」にせよ、われわれの中に「グリーン・緑=好感」というイメージが刷り込まれている(ちなみに、私が以前勤務していた写真企業のパッケージはグリーンだった(笑))。
手段的価値か、内在的価値か
ネイチャーポジティブは、「生物多様性の回復」と呼ばれているが、ビジネス・産業的な観点から見れば、その本質は「生物資源の利活用」であると私は考えている。そのためにも、生物多様性の回復(自然への反転回復)が必須ということなのである。
では、生物多様性はなぜ必要なのか。2つの議論の潮流がある。
1つ目は、生物多様性は人類にとって役立つから必要だ、という議論だ。これを「手段的価値説」と呼ぼう。一種の功利主義的議論である。
2つ目は、「目的的な内在的価値説」とでも呼べるものだ。そもそも、すべての生物、生態系全体の存在自体に内在的に価値があるとする、一種の環境倫理的な議論・考えである。
どう異なるのだろうか。
まず1つ目の「手段的価値説」をよく見てみよう。国連のNP目標でも「生態系サービス」を前面に出して、生態系から人類が多種多様な恩恵を受けているから生物多様性の保全と回復が必要であるとしている。
ここで、「生態系サービス」とは、具体的には次の4つである。
【供給サービス】生物資源を、米や小麦を始めとした食糧、綿や麻などの繊維・衣料、水、木材、燃料、薬品などとして、それらを人類が利用することを指す。
【調節的サービス】人類が安全で快適に生活できる条件、例えば気候調節、大気・水質の浄化、災害の抑制、洪水調整などを整えてくれる環境制御機能を指す。
【文化的サービス】余暇娯楽、観光、教育、文化・宗教、精神的充足など多様な喜びや楽しみなどの文化的便益を、自然環境が人類へ提供することを指す。
【基盤的サービス】右記3つのサービスを生み出す生物群が維持されるために必要な、土壌形成、物質循環、生態系を維持する生命の活動等を指す。
生息・生育環境の提供や一次生産(光合成による有機物生産)があるとともに、食物連鎖は動物に酸素を提供する植物や、様々な生物と共生する微生物や分解を担う微生物等が生態系を構成していることがわかる。つまり、人類の生活基盤を提供し、生態系全体を一種のサービス体系と見なしているのである。
これら生態系サービス群が生活基盤を形成し、経済活動を支えているとする。それゆえ、人類にとって生態系は必要不可欠であり、その多様性の保全と回復が必要だという議論が、この手段的価値説の基本であると言えよう。
なお、この考え方に基づき、自然を「資本」と見なして、その金銭換算を通じた経済的価値評価が現在盛んになってきている。
「役立つ生物」とは何か 今は言えない
2つ目の議論は、前述のとおり、「目的的な内在的価値説」とでも呼べるものだ。そもそも、すべての生物、生態系全体の存在自体に内在的に価値があるとする、一種の環境倫理的な議論である。環境運動家の多くは、この説に則って活動をしているようだ。ただし、特に産業技術関係者は、(環境原理主義的な)過激な動物愛護活動家が絶滅危惧種の動物を守るべきという主張や過激な活動をイメージしてしまうようである。
『ゾウの時間、ネズミの時間』で著名な生物学者の本川達雄氏は、ある生物種の保全を訴える活動自体も、実は「その生物」を選んでおり、それはある種の「利益生物」の保全活動であると喝破している(注)。とはいうものの、同氏は、それを踏まえた上で「自然の内在的価値」を説き、すべての生物は存在自体に価値があるとしている。
さて、一方でネイチャーポジティブでは、「すべての種、生態系、遺伝子の保全と回復」を目標に置いている。他方、サーキュラーエコノミーでは、人類に役立つものを事業資源・産業資源として利用したいという功利主義的観点から生物資源を見て、「人類に役立つ生物等」の保全と回復をしたいとする。
では、両者の関係をどう見ればよいのだろうか。
俯瞰的に見ていくと、「現在、人類にとって役立たないとされる生物等」は「将来も同様に役立たずのままであり続ける」と言い切れるのか、という設問が導かれる。答えは「否」。なぜなら、将来的に利益になる/ならないことを、現在の科学力で予見することはできないからである。今後、生物資源を利用するための技術進歩、生物相の変化により入手しやすい生物の変化、新種発見などがあるはずだ。それゆえ、現在不要だから将来も不要だ、とは言い切れないはずなのである。
では、どう考えれば良いか。前述の「手段的価値説」と「内在的価値説」は理念的には並行を続けるもので、完全に「コンセンサス(一点における完全一致)」を得るのは難しい。しかしながら、「生物多様性を回復すべき」に関して、実は2つの議論は折り合えるのではないか、と私は考える。詳しくは次号で。
(本項続く)




























