しかしそれにしてもだ、一体誰がこの選挙結果を予想しただろうか?
 ここで改めて指摘するまでもなく2月8日に投開票日を迎えた衆議院選挙は、自民党がトータルで316もの議席を獲得するという空前絶後の結果を出し、幕を閉じることとなった。
 その一方で新党、中道改革連合の選挙結果はというと、まさに目を覆うばかりの悲惨な結果となってしまった。公示前には、立憲民主党と公明党(いずれも衆院議員)合計して167あった議席数は、49議席にまで激減するという大惨敗を喫することになってしまったのだ。
 そもそも小選挙区制という選挙制度自体が、今回の選挙結果のように、極端から極端に振れるという特性を持ったものであることはよく知られている。それというのも相手候補よりも、例え一票でも多く得票したならば当選し、一票でも少なければ落選してしまうという選挙制度こそが、小選挙区制に他ならないからだ。
 さらに加えて言うならば、選挙によって投票行動に振れ幅の少ない組織票と、そうした振れ幅の大きな、組織化されていない無党派層の票数の割合は、過去の選挙を元に割り出してみると、概ね4(組織票)対6(無党派層票)というのが筆者の実感だ。
 つまり今回の選挙結果を総括するならば、高市早苗氏率いる自民党は無党派層票の支持獲得に成功し、中道改革連合はその獲得に大失敗してしまった、ということに他ならないだろう。ならばなぜ、中道改革連合は無党派層票の取り込みに失敗してしまったのだろうか?
 その理由を一言で言ってしまえば、中道改革連合が選挙戦の雌雄を決する鍵を握るはずの無党派層の取り込みにあまりにも無頓着だったからだ、というのが筆者の見立てだ。
 はっきり言って、衆院選直前になって立憲民主党と公明党が合流し新党を立ち上げる、という判断に対しては多くの有権者が強烈な違和感を持ったに違いない。それどころか公明党や立憲民主党の内部からもそうした声が上がっていたことも、これまた事実だ。この新党結成に関して言うならば、多くの有権者は選挙目当ての「野合」と受け止めたに違いない。
 そもそも立憲民主党にしても公明党にしても、高市早苗首相が通常国会の冒頭に解散に踏み切ってくるなどとは夢にも思っていなかったに違いない。
 本来通常国会の最大の役割が次年度予算案を年度内、つまり三月末までに成立させることにあるのは、国政の場に身を置くものにとってまさに常識だ。従って高市首相が解散に打って出るのはどんなに早くとも四月、というのが大方の受け止め方だった。その点については、自民党内ですらそうした見方が大半を占めていたと言っていいだろう。
 立憲民主党は、公明党が自民党との連立を解消した直後から同党に接近し、来たる衆院選へ向けて両党の共闘関係の構築へ向けて水面下で交渉を続けてきたのだという。交渉当初は、選挙区での選挙区調整と比例区での統一名簿の作成を軸に協議が行われていたようだが、高市首相が通常国会冒頭解散へ向けて一気に動き出してしまったことで事態は急変、想定外の動きに慌てた両党は新党結成の決断を下したのだ。
 それこそ降って湧いたような解散・総選挙に対して、ほとんど準備らしい準備もしていなかった立憲民主党の所属議員たちは、各選挙区に1〜2万票あるとされる創価学会票を頼りに、原口一博氏を除き新党に集結したのである。もっともそうした期待は、結果的に完全に裏切られることになるのだが。
 つまり新党・中道改革連合から衆院選に打って出た立憲民主党系の候補者は、創価学会票という組織票に目を奪われ、無党派層の存在を完全に忘れてしまったのではないだろうか。
 少なくとも今回の衆院選に関しては、創価学会票という組織票はまったく機能しなかったというわけではない。筆者の皮膚感覚としては、準備期間が短かかった割には創価学会サイドの中道改革連合に対する支援体制も充実していたと言えよう。
 しかし選挙は、組織票だけで決まるものではない。特に選挙戦中盤以降、猛威を振るった高市旋風の前には、組織票はあまりにも無力だったと言える。選挙区から出馬した中道改革連合の候補者の多くは、出口調査の結果などを見る限りにおいて、ほとんど無党派層の支持を得ることができなかったというのが実情だ。
 なぜそんなことになってしまったのか。その理由は、立憲民主党が公明党との新党結成を優先するあまりに、これまでの政策や主張を大きく転換してしまったことにあると言えよう。例えば原発ゼロ政策から再稼働容認へ転じたことや、集団的自衛権の行使を可能とする平和安全法制についても、それまでは違憲の疑いがあるとしていたにもかかわらず、一気に合憲であることを認めてしまったことなどが挙げられよう。それらは皆、公明党が新党を結成するにあたって立憲民主党に突き付けていた条件に他ならない。
 つまり多くの有権者の目には、そうした立憲民主党の姿は、創価学会票欲しさに重要政策をことごとく変えてしまった、と映ったのだろう。
 「選挙」というものを熟知した自民党の重鎮がこう言う。選挙というものは良くも悪くも結局のところ好感度調査なのだ、と。つまり相手候補よりも好感度が高ければ、選挙に勝つことができるというのだ。
 そうした意味で言えば、中道改革連合、中でも立憲民主党系候補者の「好感度」はどうだっただろうか。今ここで改めて断ずる必要もないのではないだろうか。
 やはり中道改革連合の惨敗は、必然だったと言えよう。